君は何回目の絶望で諦めることができるのか

インスタ、FB、ラインで出てくれるかもしれない、再会したくて仕方がない、先輩と仲間、同業者に声をかけた。

帰ってきた返事は厳しいものばかりだった。FJさんのお断りが先輩心を感じさせる様な、そんな返事だった。あの人からはよい言葉をよく貰っているので優しさの様なものを感じてしまった。

状況は厳しい。このヤマ全てこなしてこそオレはオレを誇りまた一歩進んだと実感できる。そのはずだ。経験ではそうだったから今回もそうだと思うほかないと信じるしかない。

リルさんにも店長にもオレに任せろと啖呵を切ったのだ。角度を変え現状把握と仲良く銃を突き立てられた様な気分で、飼い慣らされた食肉犬の様に様々な角度から裏切りの逆を、信用のための、否、男児、多言アラズ。

3人で暮らす様になってから孤独感はむしろ減った様に思えた。

だが今は父、母、と食卓につくのも無理して気を使って慎重にしているばかりだ。

まあこういうのも因果応報なのかもしれない。

オレはそんなにも襟を正さず無寛容な人間なのだろうか。

ある意味での垢のついた言葉だが、信じるものほど救われない、なのだろうか。

でもその世に生まれつき虐げられたぶんの復讐に時間を使い切るほどオレは愚かではない。

当座の苦しみを消してくれる良薬、ではないがリスペリドンのジェネリックがある。

オレは頑張れてあと何年だろうか、、正直危機の様なものに久々に出会い弱音を吐く相手が自己そのものだけであるという事実を改めて実感した。

こういう時改めて思うが、あの子は帰ってきたりはしないし、もう十分現状彼女は幸せなのだろう。と思うのが普通だと思われずにはいられない。

自分を信じられない人間にそんな未来はやってこないというのが良くある普通の話だし、オレはそんなに奇跡染みたことを信じられるほど、希望というか幻想というか・・信じれない。

最近歌詞の中で帰るところがないという言葉を使うがオレの隣はいつも孤独だった。何年もそうなのだから今日も明日も孤独に食われると思うのが冷静で懸命ではないだろうか。

怒りと悲しみを押し殺して心を殺して入眠する。いい歳こいてオレは何故こんなにも弱い、ネズミの様に嫌われて、存在そのものがカスだと気付けずにいつまでいつまで動けなくなるまで、動けなくなるまで、と人生を呪いながらフリをして生きなければならないのか。

 

最近部屋に悪い気が増えた。見えないのだが何かがどう動いているかはわかるので、今も背中に重さがあってやはり現実と夢の間には境目があるということもわかった。

知らず知らずに重圧で動けなくなる。

今まで迷惑をかけて何もできないでいる奴らに言葉がないが、次の死は次の睡眠の中にある。

飽きたんだ、生活に。