主人公的生き方(どん底Ver)

労働もせずに鬱々として、後ろめたい気持ちを何年も噛み締めてきたがもう嫌になってしまった。
自分の表現は理解されていないと思う。
他所からみたら自分の様な人間は屑なのは理解出来るけど、俺からすれば何時間も愚痴を言いながら労働している人間なんぞ、資本主義の歯車にしか見えないし、汗水垂らして流した金はどれだけきれいなのか目に見える形で。
といいたくなる。
俺は寝なし草だから守るものもないので死ぬのが怖くて生きているだけだと思う。飛び降りなんて人生経験としてやってみたいし、死んでもいいけど、後遺症残るのやだし、やはり生きたくても死ねない人間に失礼だから人生惰性で生きてるだけだ。
この自己肯定感の低さと音楽への自己評価は反比例している。
賞味期限が切れるともうだめだから思い切り歌える時間に生活がしたい。
人生は終わっているが音楽家としてはまだまだという思いがある。寧ろ年々拾えるもの、拾われることは増えている気がする。
命とは発光してこそみえるものであって、ただ腐って突っ伏していても、街のゴミに食い漁るカラス、ネズミの類とどうしたらいいのだろう。
金食い虫に生きている価値はあるのでしょうか。

 

ということをぶつけたが否定されなかった。

 

わかったことがあるのだが、自分は金銭的には恵まれていないが、入退院を繰り返し、その中で腐らず生きてきたつもりだ。

31歳底辺で学ばせてもらったことはガキの頃からどん底だったということだ。それで今も形を変えどん底だということだ。

 

要するにどん底だからどういうことはなく、自分を主役として十分苦労してきた。

人が経験しなきゃいけないことは、出来なかった。

でも経験できないなりに考えて、俯瞰して、自分に、時に社会に対して冷酷であるが、確かなベストを選んで実行するように努力してきた。

今年は故やす子バンド2ndが出せてライヴに出れればもう勝ちだ。

 

上半期は間違いなく勝った。人生の自己ベストを出せたと思う。

俺はあとは音楽でバックがどれだけ出るかということが重要で、年金受給者なので、とりあえず手前の金には困らないくらい。

それでいい。俺は生きてる限り音楽に生きる。というか入院しようと手放さないし、常に自己ベスト出すようにストイックな男として命を保険にやりたいことを叶えてきた。

家庭を持てないとか貧乏はしょうがない。そういうカルマの持ち主だと思うし。

俺に必要なのは自分が自分を越えていくという、実に主人公的生き方だ。

貧乏もクソもガキの頃親父は1000万位年間稼いできていて、団塊の世代特有の美味い飯を食うための労働というのも、ファミレス以上に高い飯を店で食ったことはない。

 

これは貧乏人上がりの意地だと思う。ビートたけしもエッセイで言ってたけど

成り上がったやつを軽蔑する昭和だったらしい(足立区ではw)貧乏人には貧乏人なりの幸せがあるし、その領分で楽しくやっていた時代なんだろうなと。

 

詳しい事情は言えないがローンが払えなく家を売り渡した現在なんだけど、俺はやはり承認欲求満たしたさで始めた音楽も、雑務の量を考えたら仕事レベルでやっていることになる。

ここ最近Bandcampはなかなか売れない。日本人のBandcampを買うにあたって向こうの人達はアニメオタクカルチャーの文脈を欲しがっている。我々は向こうにもしっかりヤバいと思わせる音楽と製作をやっているつもりだ。そこにその文脈はあまりない。

だからどうしたである。何年も何年もしぶとくイベントとフィジカルにも投資して、やってきた。オタクのキキチガイとは質も何もかも違う。

俺は誇る。脇役供の日本の資本主義社会、教育からはみ出したので、はなっから違う。

そういう人間に脇役を演じさせるのは無礼というものだ。

俺は俺を誇るし、自己実現と自己超越に人生を賭けてきた。しかも説明書なしで。

 

こういう人間が勝つ。面白い。ガンガンノイジーマイノリティであり本質を教えてやろう馬鹿供に。